またいつか…

今回の地震で、とある音楽サイトでお知り合いになった方の訃報を知った。

残念だった。

これまでも、身近な人、親しい人との別れは経験している。

訃報を聞きながら、読みながら、故人の顔や声、雰囲気が頭の中に浮かぶ、

そして、涙がこみ上げてくる。

それは、突然の事故であっても、覚悟したことであっても、

しかし、今回は不思議な感覚だった。

その方の顔も、声もボクは知らない、外で偶然すれ違っても気が付かないだろう。

ボクが知っているのは、メールをやり取りしたテキストでの気さくな物言いと、

楽器の音色だけ、

現実なのか?、というのが正直な気持ちだったし、いまだに実感が無い。

メールを送れば、返信が来るような気さえする。

なぜか、涙も出てこない。

自分の感覚がおかしいのか?

訃報をもらってから、いろいろ考えるが、今はこう解釈するしかない、

こちらと、連絡の取れないところに行ったんですよね

いずれ、ボクも行きますよ、いつ頃とは約束できませんけど、

ボクが行って、運よく逢えたら、また遊んでください、

こっちでは、一曲しかできなかったけど、

今度は、ネット経由なんて、まどろっこしい方法じゃなくて、

リアルにセッションしましょうねえ、

…………

そしてボクは、そろそろ脳天気なスターライトに戻らなくては、、

こんな、しんみりした記事は、性にあわねえ…

なにも出来なかった!

いつもの午後だった、

実験棟でPCの画面を見ながら、何か違和感を感じる…

地震か?

自宅に子供が一人でいるはずだ、

直ぐに電話した

息子が出た、

「今一人か?」

「うん」

「地震だから気をつけろ!、火を使うなよ!」

たわいもない話をしているうちに、揺れが強くなる、、

???

揺れが止まる気配が無い、

どころか、どんどん強くなる、机につかまらないと立っていられない、、

揺れが尋常ではなくなる、周囲の機材棚が倒れる、、

頭の中で警笛が鳴った、

「ダメだ、逃げろ!」

息子に叫んだ、

「分かった!」

電話を切ると、避難指示の社内放送が流れた、

外へ出ようと思うけど、真っ直ぐ歩けない、、

結局、外に出れたのは揺れがおさまってから、

外に出ると、意外なほど、周囲は落ち着いていた。

けど、自分は家族が気になってしかたない、

電話やメール、、一切つながらないのだ、

なんで、こういう時にかぎって、全員が別の場所にいるんだよ!

すごい揺れだった、生まれて初めての経験だった、

電車も動く気配は無く、家まで歩いた、

家に帰ると、大きな被害も無く一安心した、

しかし、ニュースを見ると想像を超えた光景が、

棚が倒れた、電話がつながらない、電車が止まったなんて事でアタフタしていた自分が滑稽に思えた、

被災地に住む人の恐怖や不安は、とても想像できない、

ああいう時は、いつもの午後、いつもの朝、いつもの夜、いつもの昼に来る、

だから怖い!、

当たり前のように繰り返している、いつもの時にくるから、

今の直後地震がくるかも?

なんて、だれも考えながら生活していない、

だからなにも出来ない、

家族と離れていれば、心配することしかできなかった。

だから、これから出来る事をやる!

 

東北地方太平洋沖地震のために、わたしたちにできることまとめ