自分という存在の不思議

ボクは、小さい頃から空想癖がある。

授業中など、黒板をじーっと見つめていて、一見すると良好な授業態度、

しかし頭の中では、まったく違うことを空想していたりする。

その空想の世界に入り込むきっかけは、先生の発する言葉だとか、

黒板に書かれた文字などが、キーワードとなって空想世界の扉が開く。

特に、地理の授業中など、地図帳を眺めながら頭の中では、世界旅行の真っ最中。

50分くらいの授業は、あっという間、

終業のベルで我に返る、、え?もう終わり?って感じ。

この癖は、今も健在?で、人と会話している時等も、相手の話す事や、

会話中に目に入った物等がキーワードになったりする。

困るのは、聞き逃してはいけないような重要な話を聞いている時にも、

ちょっとした拍子に、扉が開いてしまう。

はっ!と現実に戻って、話を聞き返すことも少なくない。

ブログだからこんな事が書けるんだけど、、

そして、本題であるが、

そんな変?なボクは、時々自分という存在を不思議に思うことがある。

鏡を使わないと顔を見ることが出来ない自分、目でみたり聴いたりする

意識を持った自分という存在。

最大限に記憶をさかのぼると、保育園とか幼稚園時代の断片的な事が浮かぶが、

自分という存在が、その頃から1秒、1分、毎日を連続的に繰り返して今に至って

いることが不思議に感じる。

死んだら、この意識はどうなるんだろう?とか、、

なにも感じなくなって終わりなんだろうなあ??とは思うけど、、

この不思議、疑問はいずれ解決するんだけどね、

あ!、また扉が開きそうだ、、

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